階段昇降機の評判を教えてくれた俊一と月子に感謝しているパパとママのブログ

ごく平凡な家庭を持つサラリーマンのブログ。階段昇降機の話が多くなるかも

階段昇降機の前でオフクロとおれが泣いた日

階段昇降機なんて言葉知ってるだろうか?

エレベーターの日本語訳じゃない、あれは垂直昇降機。

階段昇降機という文字ズラから、駅の階段で車椅子に乗った人を運び上げているリフトを想像するかもしれないが、階段昇降機と言うのはあんなゴツイものじゃない。階段昇降機は一般家庭で使うものだ。

壁に沿って手すりのように取り付けられた銀色のステンレス製レール。 そのレールに、お尻を両手で包み込むような形をしたアイボリー色のちょこんとしたイスがはめ込まれている。そのイスに座った人を電動で運ぶのが階段昇降機だ。使うのは足の不自由な人や介護が必要な老人。壁を背にして座るため、リビングの方を向いたまま、横向きで運ばれることになる。

このブログのIDを取って丸3日。ごく平凡な中年サラリーマンのオレの毎日なんて、いつも変わり映えの無い3行程度で終わってしまう。なにを書こうか考えながらリビングでウロウロしていたら、ふっと目に入ってきたのが階段の下で、壁を背に乗り手を待っている階段昇降機だった。

そう、この階段昇降機には物語りがある。

小柄で、いつもニコニコしているオフクロ。専業主婦のくせに、家事と子供の世話でいつもやたら忙しそうに動き回っているカミさん。男の子が生まれて、いずれ腕力で負ける日が来ると恐れていたのに、音大に通うピアニストになっちまった息子。そして、女らしく育って欲しいと思って月子という名前をつけたのに、体育会系バリバリのバレー命で毎日部活で汗を流す活発な高2の娘。オレはというと、四捨五入すれば50になる片道通勤時間1時間半の商社勤めの中間管理職だ。

駅からバスで20分かかるオレの家の一帯は、大手不動産会社が二世帯住宅をメインに売り出した分譲建売り住宅地帯で、30坪も無い狭い土地に、三角屋根を乗せた3階建ての家がひしめき合っている。北側の道路に面しているため、左右と後ろに立っている3階建てのせいで、1階と2階は太陽が低い位置にある西日の時間しか日が当たらず寒々としている。日当たりがいい3階はオフクロの部屋。トイレと簡易キッチンがあるせいで、もうひとつある部屋は3畳しかなく、物置になっている。2階は子供部屋が2つと、オレとカミさんの寝室。5年ほど前まで息子の部屋はオレの書斎だったが、体形が女に変化してきた娘に部屋から叩きだされた息子を収容するために、カミさんがオレを引きずり出して、息子に部屋を与えてしまった。おかげで今のオレにはリビングのソファか寝室のベッドの上しか居場所が無い。別に休日以外は寝るだけだから、慣れてしまえば不自由は無いが、ソファとベッドの上しか居場所が無いというのは、我ながら情けなさを感じてしまう。まあ、良く聞く舅と姑の戦争が無く、口数の少ないオフクロと、口数の多いカミさんが実の親子のように平和に暮らしてくれていることで充分救われていると思ってはいるが。

事の始まりはおととしの文化の日だった。 初冬を感じさせる肌寒い夜で、カミさんはリビングの石油ファンヒーターをフル稼働させながら、夕食の後片付けをしていた。オレと息子がソファーでテレビを見てる中、娘はキャピキャピ騒ぎながら楽しそうにカミさんの手伝いをしていた。いつも聞いててなにが楽しいんだかわからないが、娘とカミさんはムーミンの三―の会話で良く盛り上がっている。おれには意地悪そうな顔をした玉ねぎ頭のクソガキにしか見えないのだが、カミさんと娘には可愛く見えるらしいから不思議だ。 オレと息子が見ていたのは、ピラミッドの謎についてのドキュメンタリー番組。そこでホワイトスネイクの曲が流れたとき、息子がオレの方を見て言った。

「この曲、たまに聞くけど、誰の曲か知ってる?」

学生時代、ヘビメタファンだったオレはもちろん知っている。ホワイトスネイクの「Is This Love」だ。ヘビメタ・バラードの中でも名曲中の名曲。オレはCDも持っている。今の子供たちは音楽はダウンロードでばかり聞いているようだが、オレの時代はCDだ。オレは息子に見せてやるために2階の寝室にCDを取りにソファーをたった。

そこで事件に遭遇した。

リビングを出たオレは階段の上を見上げて、心臓が破裂しそうなくらい驚いた。上の方でオフクロが丸くなってうずくまっていたのだ。

あわてて階段を駆け上がると、

「なんでもないよ。しんどいから、ちょっと休んでただけだから」

振り向いた顔は明らかに無理矢理作った笑顔だった。 7年前、オヤジが心筋梗塞で他界してから、オフクロは3階からほとんど外に出なくなっていた。出てくるのは、風呂にはいる時で、そのまま夕食を一緒に取ると、いつの間にか3階に上がっている。オレはずっと、オヤジといた部屋にいるのが落ち着くからだとばかり思っていた。

だが、違った。

オレはこのとき、それをはっきり理解した。オフクロは体力的に弱っている。3階までの階段の登り降りができなくて、日に1回出てくるのが精いっぱいだったのだ。いつもニコニコしているせいで気づかなかった。オフクロはオレたちの前では笑顔でいながら、オレたちが気づかないうちに3階に上がって、階段で辛い思いをしている姿を隠していたのだった。

知らなかった。

オレは目を閉じて唇を噛んだ。 その夜、オレは寝室でカミさんに状況を打ち明けた。オレのカミさんはマジでいい奴だ。オフクロの部屋を1階に移そうとすぐに言ってくれた。 だが、それはできないのだ。 カミさんに話す前に、オレもそれは考えた。玄関、トイレ、キッチン、風呂場、洗濯機に占領されている1階は13畳のリビングダイニングが1部屋あるだけ。しかもカウンターキッチンにしてあるせいで、キッチンとリビングダイニングが実質的に1つになっている。このリビングダイニングを明け渡してしまうと、必然的に3階の簡易キッチンをメインとして使うことになる。とてもじゃないが5人家族用の料理ができるスペースじゃない。おまけに六畳の畳部屋にテーブルをおいたら、くつろぐスペースが取れない。つまり、家族団らんの場が無くなってしまうのだ。もちろん、それを百も承知の上でカミさんは提案している。ホント、いいヤツ。でも、さすがにそれはできない。 カミさんと二人で、部屋の入れ替えをあれこれ考えたが、オフクロがうずくまっていたのは、2階にたどり着く前の位置。つまり、3階どころか、2階すらオフクロには辛くてダメだということだ。1階も、2階も、3階もダメ。完全に手詰まっていた。 翌日、頑なに拒むオフクロを説き伏せて、とりあえず息子の部屋と入れ替わらせた。だが、あくまで暫定策だ。2階までも登り切れないオフクロを救うことはできない。それでも暫定策として部屋を入れ替えたのは、息子がある解決策を教えてくれたからだ。ホームエレベータ。オレもテレビのコマーシャルでは見たことがあった。半畳くらいの大きさで、普通の家で、やたら姿勢のいいバアさんが笑顔で家族に手を振りながら上の階に運ばれていくパナソニックのCM。このとき、カミさんとオレの間では、ホームエレベーターの設置で考えが固まっていた。

だが、ホームエレベーターには、とんでもない落とし穴が待っていた。

翌日の夜、昼間の内に息子と娘がグーグルやYAHOOを駆使してネットで集めて印刷しておいてくれたホームエレベーターの資料を、寝室のベッドの上に広げてカミさんと二人で検討した。そこで意識が変わったことがある。ホームエレベーターと言うのは、洗濯機や冷蔵庫を買うのとはわけが違って、モノを買うより、工事が主体の話になるのだ。当たり前と言えば、当たり前だが、息子と娘が集めてくれた資料の大部分はホームエレベーターの機能ではなくて、工事の写真が掲載されている施工例のものが大半を占めていた。モノを買うというより、改築するに近い。しかも建築基準法で届け出まで必要とされているのだ。嫌な予感がしながらも、業者に来てもらうことにした。

業者が来たのは土曜の昼過ぎ。アイボリーの作業服の胸に4色ボールペンを差した中年の男性はメジャーを片手に家のあちこちを調べて書類にメモを取っていった。そして、わかったこと。見た目は半畳ほどだが、実際は一畳以上の面積を取るということ。その面積で一階から三階までぶち抜くことになるが、オレの家の場合、1階はリビングダイニングでテレビが置いてある位置、2階は娘の部屋、3階はおふくろの部屋を縦に一直線に通すしかなかった。これは水道管やガス管など家の中にさまざまに張り巡らされた配管類の制約や、窓を塞ぐわけには行かないという制約のためだ。問題は娘の部屋。四畳半しかない娘の部屋は三畳になってしまい。ベッドと机を置いたら、本棚すら置けなくなってしまう。さらに致命的な問題があることがわかった。エレベーターというのは、カゴをそのままモーターで持ち上げているわけじゃなく、滑車を使って、反対側におもりを吊るすことでバランスをとり、これによって小型のモーターでも人が乗った鉄のカゴを上げ下げできるようになっている。つまり、この滑車には300kg近い重量がかかることになるのだ。こんな重さを支えられる天井構造なんか普通の家庭にはない。このため、ホームエレベーターを設置するには、鉄骨を通して、新たな構造を作らねばならない。よくマンションなんかの工事現場で見かける断面がHの形をした鉄骨を地面を掘ってコンクリートで埋め込み、それを基礎として、エレベーターの通り道を鉄骨で組み上げるわけだ。最初からホームエレベーターを組み込んで家を建てる場合はいいが、オレの家の場合、家の半分近くをぶち壊して、建て直すようなことになる。しかも、娘の部屋はもはや部屋としての機能は失ってしまう。さすがにこれには途方にくれた。

無策のまま年を越し、正月を迎えた家の中はどこか重い空気が沈み込んでいた。口には出さないが3階の畳部屋に行った息子はベッドとデスクセットを持って上がったものの、イスの足が畳を削ってボロボロにしてしまうことに気づき、ちゃぶ台と座布団で不便を感じているはずだ。オフクロは2階のフローリングで畳とは違う居心地の悪さを感じているに違いなかった。

家の中のバランスが崩れている。

暫定策のつもりだったが、ホームエレベーターという突破口を失ったまま、打つ手が無かった。オフクロが毎日階段で苦しんでいることは、カミさんも、息子も、娘も知っている。そして打開策がないことも。

そんな正月休み。ボーっとテレビを見ているオレの目に、これまで見たこともないとんでもないものが飛びこんで来た。他愛ないコメディーチックなホームドラマ。イヤミな姑の役を演じていたのは野際陽子だったと思う。よくある姑のイヤミに、顔は笑いながらも腹の底は煮えくり返っている嫁さんの話だ。ここでオレが目を見張るシーンが飛び出した。きつーいイヤミを言って、若い嫁さん役が怒りの炎を燃やしながら耐えている中で、野際陽子は階段に備え付けられたアイボリー色の小さな椅子に座ると、笑顔で手を降りながら、階段の上へと運ばれていくじゃないか。

(なんじゃ、こりゃ!?)

オレは慌ててテレビを操作して、番組表を表示させた。テレビ朝日の番組だった。ネットでテレビ朝日の電話番号を調べると、急いで電話を掛けた。番組で使っている小物の問い合わせなど対応してくれるとは思えなかったが、ダメ元だ。だが意外なことに電話に出たオペレーターは

「担当者におつなぎしますので少々お待ちください」

となんのためらいも無く、電話を取り次いでくれた。そしてわかったこと。

階段昇降機。

生まれてこのかた聞いたことも無い言葉だったが、野際陽子が使っていたのは階段昇降機というシロモノだった。 電話に出た担当者は、番組で使っていた階段昇降機のメーカーと型番まで教えてくれた。暗闇の中でどこへ向かって歩いていいんだかわからない絶望感が一気にひっくり返った。オレはすぐさまGoogleで階段昇降機を検索した。

固定観念というものは恐ろしいもので、ホームエレベーターしか頭に無かったオレが検索するページでは階段昇降機は全く登場しなかったのだが、介護系のウエブサイトであれば、階段昇降機はかなりメジャーな存在で多くのサイトで取り上げられていた。階段昇降機は元々介護福祉に手厚い北欧から中心に広がり、日本に入り始めてからはまだ歴史が浅い。建物の平均寿命が短い日本と違い、建造物を大事にする欧米では古い家を改築しながら使っていくために、大規模な工事を必要としない階段昇降機がメジャーな存在となっているらしい。現在では番組で見た階段昇降機より安全性の面で改良が進んでおり、普通に背もたれと肘掛けがついた椅子の形が主流となっていた。年始休みが明けると、さっそく業者に電話した。

到着した業者が弾きだした工期は1か月半。

丹念に階段の形状を調べ、目の前で昇降機のレールの概要図を書いて説明してくれた。大規模な工事は一切必要ない。必要なのは、スムーズに階段昇降機が動けるようにレールを設計することと、そのレールを作ることだった。階段昇降機自体はどこの家に設置しようと変わらないが、レールは家によって階段の勾配や形状が異なるために、一品料理で作らねばならない。とくにオレの家みたいに3階まで通すとなると、途中の2階で階段昇降機がくるっと方向を変えるようなレールの設計が必要になる。

だが、そんなことはどうでもよかった。とにかくこれで救われる。オフクロは苦しみから解放され、家族の部屋は元通りの割り振りに戻すことができる。オレはその場で契約を済ませた。

そして、冬真っただ中の2月。階段昇降機が完成した。正月明けでただでさえ部品が揃いにくい中、業者が駆けずり回ってくれたおかげで、予定よりも早く完成した。階段昇降機については、メーカーよりも実際に施工に関わるコンサルティングや施工工事業者の力の方が遥かに重要だということを心底感じた。西日で家の中がオレンジ色に染まる中、業者に促されて、オレは完成したばかりの階段昇降機に搭乗し、スイッチを押した。スムーズな動き。2階での反転。そして3階への到着。始終安定した階段昇降機の動きは、かつて息子や娘と乗った遊園地にある幼児向けの乗り物のようだった。スイッチを切り替えて、3階から1階へと降りる。どんな乗り物でも落ちる時はそれなりに恐怖心を感じる物だが、階段昇降機はなんの不安も感じさせない堂々たる動きだった。オレは思わず拳を握りしめてガッツポーズを取った。

本当のバリアフリーだ。

オレが降りると、業者がオフクロに階段昇降機に乗ってみるよう勧めたが、オフクロは恥ずかしがって、乗ろうとはしなかった。

厚生労働省や東京都、さまざまな介護や福祉の助成金の手続きや、国土交通省監督下の建設設置申請書。高度高齢者用のいくつかの書類に印鑑を押している間、カミさんや息子、そして娘が階段昇降機に載って

「すごーい!」

「すげー!」

と騒いでいた。列になって順番に階段昇降機に乗る様子は、ディズニーランドのライドものさながらだった。

業者が帰ると、オレたちはオフクロに階段昇降機に乗ってみるよう勧めた。

そう、いくらオレたちでは使えても、なんらかの問題でオフクロが使えなくては、せっかくの階段昇降機も意味は無い。

4人が見守る中、オフクロは階段昇降機に載ると、スイッチを押した。動き出した時、オフクロは一瞬驚いてバランスを取るように両腕を広げたが、階段昇降機の安定した動きにすぐに安心して肘掛けに腕を戻した。オフクロを乗せたまま登っていく階段昇降機と一緒にオレも階段を登った。二階でくるっと階段昇降機が向きを変えたときも少し驚いたようだったが、すぐに安心した顔に戻った。そして3階に到着した。

「どうだった?」

「いい時代になったねぇ」

いい時代。そうなのかもしれない。ネットが発達し、誰もがスマホを持つようになったことが時代の進化のように言われるが、階段昇降機のような製品こそが真の意味で「良い時代の進化」のように思えた。

階段昇降機に乗ったまま、今度は3階から下へと降りた。カミさんや息子、そして娘が階段の下から見上げていた。

1階に到着すると、オフクロは階段昇降機に乗った両手で顔を覆って俯いた。

オレは驚いた。

やはり怖かったのだろうか? 大人であれば何でもない遊園地の乗り物も、子供の頃は結構怖かったものだ。オレたちには何でもなかった階段昇降機の動きでも、オフクロには怖かったのかもしれない。不安で胃が縮こまるのを感じた。

「ありがとうね」

オフクロの声が震えていた。顔を覆ったしわだらけの両手から、涙がこぼれだしていた。

「大丈夫だった? おかあさん、使えそう?」

カミさんの問いかけに、オフクロは両手で顔を覆ったまま、ただ何度もうなづいた。オレはほっと胸をなでおろした。

「脅かすなよ、怖かったって言うのかと思ったよ。安心した。ちょっとお茶でも飲もうか」

 「ありがとうね。ありがとうね」

おふくろは顔を覆ってうつむいたまま、階段昇降機から降りようとしなかった。

「なんだよ。泣くなよ。ほらっ」

オレはおぶってやろうと階段昇降機に座ったままのオフクロに背を向けて、腰を落とした。

「ほらっ」

尻が階段昇降機に貼りついてしまったかのように顔を覆ったまま動かないオフクロに何度か声をかけると、不意に、ふぁさっと背中に柔らかい感触が覆いかぶさってきた。

心臓に氷の杭が撃ち込まれたような痛みが走った。

軽い。

まるで空のダンボール箱を背負っているようだった。

知らないうちにオフクロはこんなにも軽くなってしまっていた。

小学校のころ同じクラスのヤツと殴り合いのケンカをして、こっぴどくオフクロに叱られたこと。一緒に自転車を選びに行ったこと。夕日の中、赤トンボの群れに遭遇して一緒に大騒ぎしたこと。忘れていたオフクロとの思い出が頭の中に一気に噴き出した。

目頭が熱くなり、涙がでた。

顔を上に上げ、目をしはたいて、我慢しようとしたが、だめだった。

流れ始めた涙は、もう止めるどころか、オフクロへの思いで噴き出す量が増えるだけだった。

オレは階段昇降機の前でオフクロを背負ったまま、顔を伏せて泣いた。

「ごめんね、おかあさん。本当に、ごめん」

やっとの思いでオレが絞り出せたのは、こんな言葉だった。自分で言いながら、なにに謝っているんだかわからなかった。階段昇降機はあやまるようなことじゃない。でも、なんだろう。これまでかけた苦労に対するものだったのだろうか。あの時、口からなんでこの言葉が口からでたのか、いまでもわからないが、ごめん以外の言葉は出てこなかった。

気がつくと目の前からすすり泣きが聞こえてきた。カミさんが泣いている。

娘のすすり泣きも聞こえた。

息子が鼻をすする音が聞こえた。

家族5人の心が見えない糸でつながっているようだった。

結婚して24年になるが、こんなことは初めてだった。

階段昇降機は家族の悩みを解消しただけじゃなく、家族の絆を改めて実感させてくれた。

オレは止まらない涙の中、心の中で呟いだ

(智美、ありがとうな。俊一、ありがとうな。月子、ありがとうな。オレ、幸せだ。)

 

それからというもの、オフクロは頻繁に外に出るようになった。階段昇降機がライフスタイルを大きく変えていた。それまでただニコニコして話を聞いているだけだったのに、新しく見つけた店の話や公園で知り合いになった年より同志の話やら、とにかく話すことが増えた。オフクロが外の様子を知るようになったことで、家族の話題に乗れるようになったばかりでなく、話題の提供者にもなったせいで、ウチは会話が絶えることがない家庭になった。

階段昇降機の恩恵を受けたのはオフクロだけじゃない。毎週、20kg近くある石油ファンヒーター用の灯油ポリタンクを2つも3つも2階と3階に運び上げなくてはならないオレは、階段昇降機に乗せて運ぶことができるようになったおかげで、労苦から解放された。カミさんも上の階でたまった雑誌や新聞をおろして来るのに使っている。娘や息子も、重いものを自分の部屋に運ぶのに階段昇降機を使っている。階段昇降機は使い始めるととにかく楽だ。高度な医療や診断の発達ばかりもてはやされているが、階段昇降機ほどそのありがたみを感じたものはない。

ただ、階段昇降機という言葉は実際に使ってみると日常の会話では非常に使いにくい。ひらがなにすると10文字もあるから、話してて長ったらしいのだ。オフクロが言い出したのだが、おれの家では階段昇降機は「しょうくん」で通っている。

「しょうくんに運んでもらうから大丈夫だよ」

「しょうくんがいるお陰でホント楽だよね」

名前がついたせいで、階段昇降機は、もはや機械ではなく、ペットのような存在になっていた。

オフクロに至っては、階段昇降機に乗るたびに

「しょうくん、お願いね」

と、いつも軽く頭を下げてから階段昇降機に乗っている。

階段昇降機のお陰で、オフクロは毎日を楽しく過ごすようになり、幸せそうなオフクロの波紋が家族に広がり、オレの家庭は幸せそのものだった。

そんなおふくろも、2か月前に他界した。

急性肺炎。あっけなかった。オレはおふくろの死に目に立ち会えなかった。出張でデンマークに行っていたからだ。おふくろの急変は、会社からかかってきた電話で知った。だが商談の途中で動くことはできなかった。会社は急きょ、代役を送ってくれたが、代役が空港に到着する前に、おふくろはこの世を去った。おれが家に着いた時、おふくろは3階の和室に敷かれた布団に横たわっていた。しずかで、やすらかな顔に、死に化粧が施され、おふくろのあたまの上に備え付けけられた黒い祭壇にはろうそくの火が揺れていた。

間に合わなかった。

おふくろの横で正座したまま、おれは声を殺して泣いた。

おふくろのやすらかな顔からは

「ありがとうね」

という言葉が聞こえてくるようだった。

苦労掛けっぱなしで、おれはおふくろになにもしてこなかった。階段昇降機が無かったら、外にすら出れないおふくろになにもできないまま逝させてしまうところだった。でも、階段昇降機のおかげで、おふくろは最後の1年あまり、生活を謳歌することができた。おれができたせめてもの親孝行だった。階段昇降機のおかげだ。

 

あれから2か月。今も階段昇降機は乗り手を待っているかのように、リビングを見つめている。乗り手がいなくなったことで、階段昇降機はオフクロの遺品になったというとそうではない。相変わらず、家族四人で荷物の上げ下げに日夜活躍してくれている。だが、階段昇降機を使うたびに、ニコニコしながら手を振って乗っていたオフクロの姿が目に浮かぶ。オフクロの思い出は、いまも階段昇降機と共におれの家で生きている。仏壇や位牌なんかより、おふくろのあたたかみが伝わってくる。

 

ふっとした時にカミさんがおれに言うことがある。

「階段昇降機買ってホントに良かったね」

おれも心底そう思う。

 

 

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